安藤美姫さんにアンチが多く
嫌われることが多い原因。。。
「妬んだり僻んでるんだろッ!」
という人もいるようです。
でもそれって本質じゃないと
私は思うんですよね。
ま、確かにスペインの貴公子
ハビエル・フェルナンデスと
付き合ったりされてますし
妬み・僻みもゼロじゃないでしょうけど。笑
私はむしろ、
安藤美姫さんの現役時代から
よく聞いたこのフレーズ…
「安藤美姫は言い訳ばっかり」
これに大きなヒントが
あるんじゃないのか、と。
安藤美姫さん自身に
言い訳をしてるつもりが無いのに
全部“言い訳”に聞こえる。
ハッキリ言って
安藤美姫さんは世間から
コイツは言い訳が多い
と色眼鏡で見られているので
何を言ってもそう取られる。
そういう面はあると思いますし
ある意味、安藤美姫さんには
気の毒な現象だとも思います。
ただ、これ…
一方的に貼られたレッテル
とはちょっと言いにくいのでは?
安藤美姫さん自身の言動にも
少なからず原因があるのでは?
その原因とは安藤美姫さんの
主体性が無い言動です。
>>安藤美姫にアンチが多く嫌われる本質!言い訳が多いのはアレの欠如…
インタビューやファンブックでの
安藤美姫さんの言葉には
この主体性の無さがよく出ています。
表紙はやっぱり好感度重視なの? |
ファンや応援してくれる人を
大事にする姿勢は素晴らしいですけどね…
その姿勢と主体性とは
まったくの別問題なんです。
安藤美姫さんの主体性の欠如は
ニコライ・モロゾフ氏が
著書で明らかにしている事実とも
合致するんですよね。
それは、思うように滑れなくて
苛立っていた安藤美姫さんが
「世界選手権を勝った後に
スケートを辞めればよかった」
と発言し、それに対し
ニコライ・モロゾフ氏が
「あの時点でやめることもできたが、
続けるのを決断したのは君自身だ」
と答えた時のことです。
安藤美姫さんは怒って
「でもあなたが
“やめるべきではない”と
言ったんじゃない!」
と食って掛かってきた、と。
この件について
ニコライ・モロゾフ氏は
実際に美姫はやめるべきではなかったし、私が彼女にそう言ったことも事実だ。
だが、私はその場ですぐ、非常に重要なことに気がついた。
美姫自身が自分で決めたはずの最終的なゴール、すなわち「オリンピックで優勝すること」に対して、何ら責任を感じていないことに―。
私が続けるべきだと言ったから続けている?これは大問題だった。
(ニコライ・モロゾフ著「キス・アンド・クライ」)
と書いているんですね。
ニコライ・モロゾフ氏は
著書の中で他にも
大会に参加することに対して
まったく責任感がなかった
と書いたり、
(「この日には競技を
したくなかった」と言う
安藤美姫さんに対して)
「どういう意味だ。
君はこの競技に参加するために
練習し、エントリーしたのだろう?」
と言い放つ部分があります。
いずれも安藤美姫さんの
主体性に欠ける言動を
指摘したものですよね。
自分の言動に対して
責任をもっていない、と。
まあ、これはあくまで
モロゾフ氏の主観・主張です。
モロゾフ氏は教え子に手を出して
3回も結婚したりと私生活では
どないやねん!
的な部分も正直ある人です。笑
全部が全部、真実では無い
可能性も十分ある^^;
他選手との関係でも微妙な記述あり… |
でも安藤美姫さん自身の
コメントと合わせてみると
全部嘘とも言えないんじゃないか、と。
そしてニコライ・モロゾフ氏が
わざわざ本に書いているという事実。
それはアスリートとして
“主体性が無い”というのは
非常に珍しいことだと
言っているようにも思えます。
でなきゃ、エピソードに
ならないと思いません?笑
そしてこういった主体性の無さこそ
安藤美姫さんの言動が
いつも“言い訳”と取られる原因
だと思うんですよね。
安藤美姫さんが
「ホンマでっか!?TV」で
聞かれたから答えたのにって。
他の選手が私と同じ答えをしても
“怪我をしていて可哀想”
と言われるのに
と仰っていましたが
ここにも若干出てますよね^^;
「聞かれたから答えたのに」
確かに、そう聞かれたのは
事実なんでしょう。
ただ、それに対して
「質問に答える」
という決断をしたのは
誰なんでしょう?笑
安藤美姫さんですよね。
だったらその発言によって
生じる結果の責任を
負うのは誰でしょう?
やっぱり安藤美姫さんです。
厳しいようですが
これは別にアスリートや
芸能人に限った話じゃありません。
誰もがそうなんです。
安藤美姫さんは常々、
「正直でありたい」
「嘘をつきたくない」
という趣旨のことを
仰っていますよね?
それは安藤美姫さんの自由です。
ただ「正直である」とか
「嘘をつかない」言動をすると
決めたのは安藤美姫さん自身。
その言動が「言い訳」と
取られたのだとすれば…
それは自分の決断の結果です。
主体性のある人間だったら
不本意な結果だったとしても、
「正直に答えたつもりだけど
言い訳と思われてしまう原因は
一体何だろうか…?」
とか、
「言い訳と取られたのは
ケガも結局は自分の
自己管理の問題だからかなぁ…」
と結果に正面から
向き合えるハズなんです。
それを、
「聞かれたから答えたのに」
「日本では理解されない」
と自分以外の誰かのせいにして
結果と正面から向き合えない。
そういう主体性の無さが
余計に「言い訳」がましく
見えてしまう。
そういう悪循環が
あるのではないでしょうか。